会長より


この度、岳樺アルパインクラブのホームページが再開されるとの事で、創立当時のことを少し書いてみたいと思います。岳樺アルパインクラブは神奈川県岳連藤沢山岳協会のある山岳会から分かれて、1980年10月18日に創立されました。 当時の目標は厳冬期の鹿島槍北壁を登攀できる会にしようという事で、そのための第一歩として厳冬期の北鎌尾根を目標に山行計画を組んでいきました。創立後すぐの正月には中崎尾根から槍ヶ岳を計画しましたが、有名な56豪雪により西穂独標に変更させられてしまいました。 次の5月合宿では槍ヶ岳集中で北鎌尾根パーティーを出しましたが、北鎌尾根6峰と7峰の間で小林君が雪を踏み抜き転落してしまい、早速遭難騒ぎになってしまいました。幸いなことにほとんど外傷もなく無事に下山しましたが、事後処理の面倒など、約半年の間に、いろいろなことを経験してしまい、会長としての責任を強く感じたわけです。 そして私は「自分の命も守れないやつは山に来るな」という考えを強く抱きました。酒がはいると会員によく言ったのは「三つのビレー(確保)」のことです。 一つ目はセルフビレー。とにかく山に来ているからには最低でも自分の身だけは自分で守る。二つ目はパートナーのビレー。これは岩登りをしていれば当たり前のこと。三つ目はパーティーのビレー。山行の一つのパーティー、あるいは山行に参加したメンバー全員の安全を確保することです。 この北鎌の事故以来、常に安全について強く言っていたにもかかわらず、96年に死亡事故を起こしてしまいました。その時、二度と死亡事故を起こすまいと会員全員で誓い、その後の山行を続けていったのですが、3年後の99年の夏に剣の岩場で再び2名の死亡事故を起こしてしまいました。この時の事故は合宿中のことでもあり、会を存続させていくべきかどうか考えるほどの重大なものとして会員全員に重く押しかかってくるものでした。何回かの会合を持った後、もう一度創立時の精神に戻り、真摯な気持ちで山行を行おうという結論に達し、体制を立て直し現在に至っています。 山登りには危険が付き物です。事故・遭難は避けるべきですけど、起こる可能性はゼロではありません。しかし絶対に死亡事故を起こさない決意で会を運営していきたいと思っています。
会長 武田久雄
 

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